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東京地方裁判所 昭和47年(刑わ)2939号 判決 1972年10月31日

主文

被告人は無罪

理由

一、公訴事実

昭和四七年五月三一日付起訴状記載によると、「被告人は、昭和四六年八月二一日午前一一時三分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、東京都葛飾区東金町四丁目三二番地先道路を金町方面から松戸方面に向かい進行するにあたり、進路前方に信号機により交通整理の行なわれている横断歩道が設けられており、同信号機が赤色の停止信号を示していたので同横断歩道の直前で停止すべき業務上の注意義務があるのに、これに気づかず漫然時速約三〇キロメートルで進行した過失により、おりから同横断歩道上を信号に従い左から右に横断をはじめた大林岳志(当四年)をその直前で発見し急制動の措置をとるも間に合わず、自車を同児に衝突転倒させ、よつて、同児に加療約三週間を要する後頭部打撲等の傷害を負わせたものである。」というのであり、刑法二一一条前段を適用すべき罰条として掲げている。

二、当裁判所の判断

右公訴事実のうち「信号機により交通整理の行なわれている横断歩道」を被告人が普通乗用自動車を運転して通過する際、同信号機が赤色の停止信号を示していたとの検察官の主張事実について検討してみると、全証拠によるも、被告人の対面信号機が赤色の停止信号を示していたものと断定するには疑問が残り、本件につき犯罪の証明が十分でないから刑事訴訟法三三六条後段に則り無罪の言渡すべきものと判断する。以下証拠関係について説明を加える。

三、証拠関係の説明

(一)  道路の状況について<証拠省略>によるとつぎのとおり認められる。すなわち、本件の横断歩道は、東西に走る車道幅員約七メートル、中央線標示がある舗装、平坦、乾燥路面の道路と南北に通じる歩車道の区別がない幅員約五メートルの道路とが交差する交差点(通称東金町四丁目交差点)西側に設けられていること。横断歩道は幅員が約四、三メートルで、車道幅員約七メートルの両側にガードレールにより区切られた約一、八メートルの幅員がある歩道が存在しているのでこれと北端および南端を接続し、横断歩道の道路標示がなされ、歩行者専用信号機(いわゆる押ボタン信号機)が設置され、北端および南端の信号柱にとりつけられた押ボタンを押して信号が青色灯火の表示に変化するのをまつて歩行者が横断をする仕組みとなつていること。東西に走る道路には道路標識により三〇キロメートル毎時の速度制限があり、被告人が金町方面から松戸方面へ東進する際、信号機の手前約二〇〇メートルは直線で晴天のため見とおしが良好であつたこと、が認められる。

(二)  信号機の作動状況について、前出各証拠に加え、司法巡査谷口幹雄ほか一名作成の昭和四七年二月一八日付実況見分調書、検察官笹野政太郎作成の同年四月二四日付実況見分調書、同検察官作成の同年同月二二日付報告書によると、歩行者が押ボタンを押した場合、車両の対面信号が青色灯火である時間の長さを三〇秒間よりは長く確保する仕組みから、(1)三〇秒後にようやく車両の対面信号が黄色灯火表示に変化する場合、(2)二〇秒後に同様変化する場合、(3)一〇秒後に同様変化する場合、(4)車両の対面信号が青色灯火を三〇秒以上続いて表示していたのち、押ボタンが押されたときは、二秒たてば早くも変化する場合があること、その黄色信号は四秒間で赤色灯火に変化し、同時に歩行者用信号機が青色一二秒、その後青色点滅信号(黄色信号に相当する)を五秒間続けたのち、全赤四秒を経て、車両の信号が青色表示となる仕組になつているから、歩行者が押ボタンを押したときから歩行者用信号が青色灯火に変わるまでの所要時間は、(1)三四秒後、(2)二四秒後、(3)一四秒後、(4)六秒後の四箇の場合があること、を認めることができる。

(三)  そこで、事故発生時における信号の表示について検討する。検察官の主張に副う証拠として<各証拠・省略>が存在し、前出検察官作成の実況見分調書を総合すると、その証拠内容はつぎのとおりである。(イ)被害者大林岳志は、父大林博(事故発生当時三三才)と母大林文子(当時二七才)の間に、昭和四二年一一月一二日に生まれた男児で、事故発生当時三才九か月であり、文子の実姉が平野美佐子(当時三四才)であつて、同女とその夫平野亀雄との間に昭和三七年一月三日生まれた男児が平野燦盛(当時九才七か月)で、同児は当時柴又小学校特殊学級(担当教諭永井さだ子)三学年に在籍する学童であつたこと。(ロ)事故発生直前、博は両手に手提袋などを持ち、両側に岳志と燦盛を伴なつて道路左側部分を徒歩南進して東金町四丁目交差点にさしかかり、北から南へ交差点を渡ろうとした際、その交差点の入口に設けられた一時停止標識の手前約一二メートル付近(検察官作成の実況見分調書添付第二図の①点、以下同図面上の符号により記述する)で、燦盛はひとり前方へかけ出し、②から③を通つて押ボタンにかけより、ボタンを押したうえ、青色信号に変わるのを待ち、横断歩道上を小走りに向う側へ渡り終つた地点で、後方をふりむき「岳志早くこい」と言つたこと。(ハ)岳志は、横断歩道直前④付近で博の手許を離れて、燦盛のいる方向へ横断歩道上を小走りにかけ出した途端、右から左へ東進して来て急停車措置を講じ路面を滑走する被告人運転の車両の左前部に衝突され、路上をころがるように転倒したこと、衝突地点は、横断歩道の北端から約2.6メートルの地点であること。(ニ)文子および美佐子は、博ら三名のすぐうしろ(二ないし四メートル後方)をゆつくり同一方向に話をしながら肩を並べて歩行中であり、燦盛が押ボタンを押したのを目撃した地点、および横断歩道南端で燦盛が「岳志早くこい」といつたのを目撃した地点を各指示し、文子の指示間は14.4メートル、美佐子の指示間は一四、八メートルでいずれも徒歩で一七秒を要すること。(ホ)博、文子および美佐子は、燦盛が横断を開始した時点の歩行者用信号が青色灯火に変わつているのを目撃しているから、岳志が事故に遭遇した時点においても青色灯火であつたことに相違ない旨を各供述していること。(ヘ)さらに、事故受傷の岳志を収容した第一病院廊下における会話の内容として、電話で急報に接しかけつけた平野亀雄は、妻美佐子に信号は何色であつたか質問し、青色だつた旨の答をきいたが、被告人も約1.5ないし2メートル位の位置で、その答をききながら何らそれに反撥しなかつたことから、自らの対面信号は赤色であることを認めたものであること。(ト)燦盛について、担当教諭永井さだ子は、交通安全の教育に力を注ぎ、燦盛は横断歩道の押ボタンを押し、青色信号になつたのち横断を開始する習慣をうえつけられていたこと。以上の各事実を総合すれば、被害者岳志が横断する際の歩行者用信号は青色灯火であり、したがつて被告人車両の対面信号は赤色灯火であつたことを推認するに十分な証拠が存在していると検察官は主張している。

これに対し、被告人の司法巡査に対する昭和四六年八月二一日付供述調書によると、(チ)被告人は、時速約三〇キロメートルで、左側ガードレールから約二メートル位のところを走行し、先行車も対向車もなく交通閑散であつて、事故発生の横断歩道の手前三〇メートルで対面信号機が青色灯火であることを一べつしたのち、その歩道左側に大人三名と子供一名がいるのをみたが、約一〇メートル前方で子供が急に左から右へ飛び出したのを目撃し、急制動措置を講じると共に右転把したが間に合わず、左前部ライト付近に子供が接触したこと、なおそれより以前に燦盛が左から右へ横断するのは目撃していないこと。(リ)被告人は、第一病院において、亀雄、美佐子に対し、自車の対面信号が赤色表示であつた旨を自認したことはなく、事故発生直後から信号の表示については双方が青色灯火を主張し水かけ論に終始していること、を供述し、以上の供述は被告人の検察官に対する同四七年一月三一日付、同年三月一三日付、同年同月三一日付各供述調書を通じて変るところがなく、当公判廷における供述もまた同様である。

以上のほか、事故発生時の信号表示を目撃していた第三者の歩行者または運転者の供述証拠は存在しない。

(四)  よつて右各証拠の信用性について判断する。まず、燦盛自身の供述は、同児の知能が五才程度であるという(永井さだ子の供述調書)ことから、青色信号になるように押ボタンを押し、青色表示に変わるのを待つて行動する習慣を養つていたからといつて、それ自体を独立の有罪証拠として信用性を認めることはとうていできない。しかし、燦盛の行動に関する博、文子および美佐子の各証言内容を参酌すると、燦盛がボタンを押したことは事実と認められるから、前示(ニ)のとおり、歩行者用信号は六秒ないし三四秒の後に青色信号に変化しているはずである。検察官作成の実況見分調書(以下検察官調書という)の内容は、人の歩行速度を毎秒一、一メートル、小走りの速度を毎秒2.2メートル程度と推定して距離と時間を検討してみると、ボタンを押したあと六秒で青色信号に変化した場合を裏付けるものであり、司法巡査谷口幹雄ほか一名作成い実況見分調書(以下司法巡査調書という)も同様の結論を推認させるもので、かなりの信用性があるものといわなければならない。しかしながら、右二通の実況見分調書を詳細に検討してみると、第一に燦盛が押ボタンを押すのを目撃した美佐子の位置が、検察官調書(地点)と司法巡査調書(②地点)とでは、かなり相違し、第二に燦盛が博と岳志のそばを離れてボタンを押すためかけ出した地点が著しく相違し(検察官調書①地点であるのに対し司法巡査調書地点)、第三に燦盛がボタンを押してから横断を開始するまでの時間が司法巡査調書では美佐子の徒歩距離4.9メートルで六秒足らずであり、第四に燦盛はすでに横断歩道を渡り終り、岳志は約2.6メートルも先行して横断歩道上に進み出ているのに、博、文子および美佐子は、全く横断歩道に足を踏み入れていないで、横断歩道の直前付近で時間を過していた(司法巡査調書、この点は被告人の供述においても佇立しているのを目撃したという)のか割り切れない疑問が残るのである(見方をかえて、燦盛がボタンを押してすぐ横断歩道を渡り、「岳志早くこい」と招いた場合を想定すると、ボタンを押してから約五秒後には、岳志が事故に遭遇する可能性を否定しえないのであり、被告人車両は衝突地点よりすくなくとも三〇メートルより手前で青色信号を一べつして走行中、燦盛が左から右へ小走りで横断するのを看過したが、その直後対面信号機が黄色灯火に変つているのを看過したまま、横断歩道の手前約一〇メートルに接近して、岳志が右から左へ横断を開始するのを見て急制動を講じたが間に合わなかつたという場合も想定できるのであつて、この場合は被告人が黄色信号を看過した疑いが生じるが、黄色に変つた地点における被告人車両の速度に応じた停止距離を考慮に入れると、被告人が黄色信号のまま横断歩道を通過して差支えない場合であつたかもしれず、事故の原因は歩行者用信号がなお赤色であるのに横断歩行を開始した岳志の側にある場合の疑いを否定することができない。なお、被告人車両の走行速度は、被告人の供述調書によると時速約三〇キロメートルというのであるが、スリップ痕が左右とも6.1メートルであつたことに鑑みると、時速約三〇キロメートルよりも速く時速四〇キロメートルに近い速度であつたことが推定され、右の疑問は、かなりの蓋然性をもつものである。)。

そうだとすると、博、文子および美佐子が、夫婦および姉妹であり、被害者がいたいけない岳志であり、その原因の一端は燦盛にあるという本件の場合、その指示内容および証言内容が、岳志の有利になるように誘導され同化されやすい傾向を否定しえないのであるから、事故時点になるべく近い新鮮な記憶に基づく指示および供述との相違点に目をつぶり、事故後八か月経て作成された検察官作成の実況見分調書およびこれを基本とする各証人尋問調書の信用性を吟味することなしに、被告人の対面信号がすでに赤色信号を表示しているのを看過したものと断定するには、疑問が残るといわなければならない。

四、結論

以上の次第であるから、本件は、公訴事実について、被告人の対面信号機が赤色の停止信号を示していたものと断定するには、疑問が残り、犯罪の証明が十分でないから、刑事訴訟法三三六条後段に則り無罪の言渡をする。 (早瀬正剛)

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